感じる癖

こんばんは。周りの人たちに触発されてブログ作りました。

 

 

僕は思ったこと考えたことはつい言ってしまいたくなる人間なので、人との飲みやTwitterでそれをタイミングを見図ることなく結構喋ってしまいます。だけど僕は同時にシャイな人間でもあるので自信がないことには言えなかったり、言っても見切り発車で着地できなかったりする。それにTwitterだと字数も少ないから、ある程度字数が必要な文章を載せる場ってやっぱり、一昔前に流行ったブログなんじゃないかなと思って前々からやろうと思ってて、この春からあまり人に会えなくなるからこういうところで自分を発信していけたらなと思って始めました。

 

僕は人より考える力が劣っていると自分で思ってます。普段の生活でも後先考えないから家出る直前に準備したり大学の単位最後まで残したりするし、楽器の練習や勉強でも頭を使って取り組むっていうのがどうしてもできなくて、直感で物事を進めがちな気がします。何事においても思考より感覚で進めてしまう「感じる癖」がついてるって感じ。大学生活を通じてそれをやっと認識して自分の中で考える癖をできるだけ身につけようとやってきたのですが、それでもやっぱり人並みには追いつけないように感じます。だからこれからの生活の中で感じたことを、自分の頭で考えてここで精一杯言葉にして人に伝えることで「考える力」を身に着けたいなって思います。

 

と結構堅苦しい始まりになってしまいましたが、僕の人間観とか世間で起きてることに対するコメントとかそういうのばっかりじゃなくて、いいと思った音楽自分の作った音楽とか旅先での思い出とか好きなこと書いていこうと思います。あんま人に言ってない自分の黒歴史とかについても語ろうかな。誰に話しかけるわけでもないので丁寧語だったり雑な独り言だったりします。気分でやるので更新頻度とかもどうなるかわかりませんが更新したらTwitterに載せるので暇なときに読んでくれたら嬉しいです。

 

 

 

さて、ここから何かお試しで自分の好きなこと書いてみましょうか。

ブログ始めようと思ったきっかけが、大学生活を振り返ってあのとき自分が何を思っていたのか伝えたいという思いつきだったのでそれについて書いていきます。

 

僕の大学4年間は1年、2年、3年、4年それぞれでかなり違う意味合いを持っていると思う。人として好きな先輩尊敬してる先輩はもちろんいるけど、基本的に僕は後輩のほうが好きで絡みやすくて仲良くしがちなので、新しい人が入ってくると新しい人間関係ができて、その年度の遊びとか音楽とかの内容が変わってくる。のでそれぞれの学年でまとめていきます。

 

 

大学1年

一番調子に乗ってた。っていう人は結構いると思うけど僕の場合それが甚だしかった。浪人してたから高校同期の自由な生活を横目に見ててウズウズしてたし、今まで男子校だったから女性との人間関係にワクワクしてた。バンドも高校時代軽音部作ってもらえなかったから思いっきりカッコつけてやろうとしてた。楽器やってる高校の友達があんまいなくて「俺世間的には結構ギターうまいんじゃね?」なんてめーちゃくちゃ思い上がってた。酒にも強ぶってたし、高校までの「だめないじられキャラ」を脱却して「クールなロン毛のデキる奴」になろうとしてた。それが早速失敗して新歓合宿で泥酔して運び込まれたのが先輩女性のベッドだった云々の話は今でも申し訳ないけど今でも笑えます。

選んだ団体は先輩の演奏に惚れたのとコンパでの雰囲気やノリの良さとで軽音楽部、自分の音楽的素養のためと友人が入るから、あと部室を365日使えるようになるからというのでジャズ研だった。他のハンドサークルと迷ったけど今となってはいい選択をしたと思ってる。であと途中から他大のケルト音楽サークルに通いだして半年くらいいたけど遠いのがだるくてやめた。それで半年くらいしたらやっぱりどうしても僕のポンコツっぷりは隠しきれなくてイジられるは批判されまくるわ。ロン毛についてだんだん悪口言われ始めたのもこの時期か。

ジャズ研では結構イベントを企画したりみんなとよく喋ってたので再来年部長とかやれたら就活に使えるんじゃねみたいな取らぬ狸の皮算用もしてた。バカだなあ

このころから自分の曲をライブとかレコーディングしたいと思ってたので外バンも入学当初から両サークルの人脈とか使ってめっちゃ人探してたけど、今に至るまで合う人がパート全部揃った試しはないです。

学業は1年が一番ひどくて秋冬6単位とかだった気がする。親に最初GLP目指せとか言われてたので、成績をスクショしてペイントで数字をごまかして親に見せてた。バイトは高校まで通ってた塾に行ったけどロン毛が許されずクビ。懐かしいね

大学1年は本当にガキンチョだったと思う。高3の頃とかは「中学時代に比べ俺大人になったな〜」とか思ってたけどそんなのはあの閉鎖的な高校の世界で普通に生活できる人間になっただけ。国公立といういろんな層のいろんな人が出入りする場所は僕にとって本当に良かったと思う。世間一般の感覚(金銭感覚とか)が結構身についた。

 

 

大学2年

軽音では今となっては仲いい人ばっかの学年が入ってきた。初めての後輩ができたのもあってこの年も結構いわゆるイキってた感じだったな。あの先輩すげーって慕われたくてバンド練休憩時間中に難しいフレーズ弾いたりしてた。この年から軽音ではやたらバンドを誘ってもらえるようになったのでそれもあって鼻高々だった。それをきっかけに練習量が圧倒的に増えたんだけど、高校までの自分になかった概念、例えばバンド全体のサウンドスケープやクリックを使った練習とか音楽理論とか、それらを大学1年の間に色々知れたのとヴィンテージの335買ったのとで練習のモチベは結構高かった。一橋祭定演あたりから自分の演奏でだめなところをはっきり認識できるようになった、バンド演奏そのものに対する意識が変わってきた時期だったとも思う。

イキリキャラみたいなのが下半期くらいから結構言われだしてこの頃軽音の人たち全然仲良くなかった。ってのは言いすぎかも知れないけど、それに自分のやってる音楽の良さをわかってくれる人がほとんどいない気がして、もう軽音をやめてジャズ研と外バン探しに絞ったほうがいいんじゃないかって本気で考えてた。これは僕が勝手に思ってる軽音あるあるの「思春期の2年」ですね。

この年は軽音もコミットしてたけどジャズ研にかなりどっぷりだったかも。夏とかは旅行で空けてる友人宅で他の友人とルームシェアしたり、布教してプログレ仲間ができたり、口調とかジョークの方向性が完全にジャズ研だったり。陰キャオタク街道まっしぐら。夏休みルームシェアでずっとゲームと麻雀してたの楽しかったな。そのときやった友人の昔のゼル伝のデータの主人公の名前が「うんこオゾンさま」だったの大学で一番笑った。ジャズに関してもようやく自分でdigってCD買ったりソロコピーしたりしだして楽しくなってきた。iRealも買った。

就活もゼミも何も考えなくて一番楽しめる学年っていうのは本当だったんだね。僕は結局ゼミも何も考えずすんだけど。金髪ロン毛もう一回くらいやりたいな。

 

 

大学3年

軽音では新歓期を経て人から褒められることが多かった。というか今までそこまで仲良くなかった同期からの人間的評判が急に良くなった。これはうぬぼれではなく実際に嬉しい言葉をたくさん頂いたし遊びに結構誘われるようになった。イジられることに対する抵抗が全くなくなってて、クールなキャラじゃなくてこんな感じで仲良くできるのが一番幸せなんだなって気がついた。2年の後半やめようか本気で考えていたがこれがあったから続けようと思えた。後輩に関してはやっぱり自分たちが幹部として新歓した代ってどうしても可愛くて、めっちゃ囲って飲み会開いてた。そしたら僕以外9人全員食中毒でダウンしてて、改めて秋葉家の胃袋の強さを実感した。この年は僕と仲いい人たち同士の人間関係が変わったので僕はどう振る舞えばいいか不安になったけど、僕は何も考えず生きてるからずっと中立でいられたのもあって結局あまり振る舞いは変わらなかった。

音楽面では、この年から毎回軽音で持ち込むバンドは「何かしらのテーマに挑戦する」と決めていた。1曲24分のMike Oldfieldを合宿でやりきって後輩がその良さを感じてくれたのがそれまでの大学生活で一番嬉しかった。でも他の人の持ち込みで雑だったやつもまだあってかなり後悔してる。ネットに落ちてるコード追って弾くやつもあったた。ジャズではようやく基本的な音楽理論を理解してきてアナライズができるようになった。実践まで至らなかった部分も多いけど。

年末ころからの就活はもう後にも先にもこんな嫌な思いはしたくないという気持ちでいっぱいだった。12月にあんなに長かった髪を切らねばならなかったし、興味もないテーマについてディスカッションさせられるし、身近なとこで周りの就活マウント合戦が始まるし。就活してて楽しかったの都内のラーメン屋行けたことくらいだな。親にもひたすら就活の進捗聞かれるしどこにいても息が詰まる感じだった。それでもどうしても軽音とジャズ研が好きなので全イベントフルコンしちゃった。あとついでに免許取りました。

 

 

大学4年

喜怒哀楽が本当に激しかった。まず夏まではずっと就活。4年になって本格化して来る日も来る日も泣きそうな気持ちだった。最後の方は本当に泣いてた。周りの人が俺内定出た〜とか明日本面接なんだよねとか言ってる中全然その段階にいなかったりして、友達に相談したらお前それヤバイよって言われそうだしでも親に相談すると絶対親の希望を押し付けられるし、孤独な戦いだった。6月からの本面接ラッシュも好感触そうなところも全部空振り、最終まで行ったところもなし、超ポジティブ楽観的人間の僕でも人間を否定されてる気がして自分にも御社にも嫌気が差してた。自分を切り刻んでその欠片をなんとか届けようとしているのに軽くあしらわれては無理もない。一旦御社の手札が全部なくなった日は夜寝ずに酒1瓶とタバコ1箱空にするという久々のイキリ大学生をかました。泥酔してなきゃ就活がやってくるような気がして。

そんなときでも軽音ジャズ研ともに行ってて特に軽音はいつでも労ってくれて、人によっては個人LINEで心配してくれたり飲みに誘ってくれたり心の支えだった。社会で軽音だけが信頼していい場所で、他は全部気持ち悪い人間しかいないとまで思ってた。

7月になってもう2次、3次募集の手札の最後の1枚を翌日に控え、親から卒業後公認会計士の勉強をすることを勧められていたとき僕は友人とCaravanの来日公演に行った。そこでそれぞれの就活の話をして「明日行くのやめるか!」なんて冗談で言ってたけど、Caravanが良すぎて翌日行きたくなくて、家帰って本当に翌日行くのやめて就活やめて、公認会計士試験の道を行くことを決めた。パイヘイスティングスに僕の進路決められたと言っても過言ではない。

そこからはもうただ、残された僅かな時間で最高の音楽を残すことだけをひたすらに考えた。軽音では魅せるショウ、聴かせる音を作ることに執拗にこだわった。組んだバンド数の差もあってジャズ研は軽音ほど注力できなかったけどこちらもできる最大限取り組んだ。4年になってからdig用にサブスク音楽サービスを始めたのもあってやりたい曲やりたいテイクがどんどん出てきて、1年の頃作曲の要素や理論の素養として門を開いたジャズはいつの間にか大好きな音楽になっていた。

正直就活は嫌で嫌で仕方なかったが、大学生活で一番幸せだったのは4年かもしれない。音楽面でもかなりいいものを残せたと思っているし、軽音ほとんど全員の人と遊んで仲良くなった。イジれるロン毛じゃなくなった僕もみんな愛してくれた。レジャー面も充実してた。沖縄に九州に中国に四国に色んな所に行き、鍋二郎流しそうめんワカサギ釣りなどなどをし、未開拓の店にたくさん行った。どちらのサークルも、後輩好きとは言え4年と1年ほど年齢差があるとひ孫のように他人に感じそうと思っていたがとんでもない、キャラの立った面白い人達ばかりでいつの間にタメ口でツッコんでくれるほど仲良くなっていた。僕以外ほとんど1年みたいなバンドすら誘ってしまった。

自分の作ったものに唸る人がいる、自分の言ったことについてきてくれる人がいる、自分がいなくなるのを泣くほど寂しがってくれる人がいるってのがこんなに幸せなことだと初めて知った。僕は中学の頃いたロボットクラブでろくなやめ方しなかったし、高校のクラスとかは個人個人で仲良くても全体は仲良くないし、団体で絆を育み最高の仲間とともに卒業する、という経験が全くなかった。初めてこんなにも「チーム」を愛した。普段くだらないことばっかりしてるし問題ばっか起こすけど人のことをちゃんと見てみんな対等に接してくれる、軽音もジャズ研も最低で最高なサークルだなって思った。

あとなんかこの年ダイエットめっちゃ頑張った。週2〜3でプールに行き毎日筋トレとカロリーと糖質制限、タンパク質を摂ってよく寝る、水1日2リットルなどなど考えられることは全てやった。1年で10kg痩せた。1年で52単位取った。やる気になれば人間なんとかなるもんなんだなって思った。成功と失敗をどちらも体験した濃い1年だった。

 

 

 

という4年間でした。ここだけでは拾いきれない思い出も感情も沢山あるし、4年って長いようで短い、ようで実は結構長くはないですか?楽しかったことを振り返れば短く感じるけれど、人が変わるのに4年って十分すぎる時間だと思うんですよ。人に褒められたときの正しい反応がわからないとか、いつまでも居酒屋でメニューを決められないとか4年で変わらなかったとこも多いですが、僕は僕なりにしっかり成長したと思っています。

本当に僕を成長させてくれたかけがえのない友人たち、環境を提供してくれた両親、そして愛する街国立には全員に手紙を書きたいほど感謝しています。本当にありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

と、ちゃんと考えて文章を書けたかは来週あたりに冷静に読み返してみないとわかりませんが結構赤裸々にこういう思ったことを書いていこうかなと思います。

駄文ですがありがとうございました。